は じ め に

 『健康』のための運動とはいっても、漠然とした『健康』というだけでは、必ずしも長期にわたって継続することは容易ではありません。「やせるため」とか「キレイに泳げるように」とか「腰痛の予防」といったハッキリとした目的も必要でしょう。そんな目的に適うように、各章毎にテーマ設定をしています。


第1章 人間とカラダと水泳
●重力の位置、浮力の位置・・・1

 肺は浮き袋の役割を果たします。潜水艦さながらに、息を目一杯吸った状態ではカラダは水上に浮き上がりますが、肺内の空気を吐き出すに連れて沈んでいきます。まさに潜水艦と同じです。空気を吸い込むことによってカラダの体積が増え比重が減るために浮く。肺内の空気量が多ければ浮きやすく、少なければ沈みやすい。水泳中は、水上(水面)に浮き上がっていた方が抵抗は小さくなりますから、その意味では、「肺内の空気量は常に少ないより多いほうが良い」ということが第一義的には言えます。しかし、それだけですべてを理解しようとすることは困難です。
 [写真1]で分かるように、肺は胸郭の中にありますから、頭頂から足先までの位置関係で言えば中心より(浮身姿勢で)やや前。そのため水面に浮き身の姿勢で浮くと、脚から沈んでいきます。

 腕を頭上に伸ばすと、手先から足先までの位置関係では、相対的に肺の位置が後方に移動したことになりますから沈みにくくなります[写真2]。
 腕を前に伸ばしてけのびをしてどこまで行けるでしょう。腕を体側に添えてけのびをするといかがでしょうか? 体側に添えてのけのびはすぐにスピードも低下し、脚から沈んでしまいます。
 腕を体側に添えると形状抵抗が大きくなるのでスピードはすぐに低下しますし、肺の位置が相対的に前方にあるから脚が早く沈みます。通常の腕を前に伸ばしたけのびで13mほど行けても、体側に添えたけのびでは10mも行きません。


●重力の位置、浮力の位置・・・2

 クロールや背泳ぎで、左右いずれかの腕が常に水中で肩よりも前方にあることが必要です[写真1]。 瞬間的にせよ、どちらの腕もが肩よりも前に無い状態[写真2]を作ると、その瞬間に肺が相対的に前方に移動し、重心は後方に移動します。
 バタフライや平泳ぎでは、カラダ(胴体)自体が前下がりや後ろ下がりのウェイブを繰り返しますから、肺の相対的な位置の移動による影響はさほど大きくはありません。

 肺の中の空気量が多ければ、カラダは浮きやすく、少なければ沈みやすい。その点では、空気量が多いほうが良いのですが、空気量が多いということは、肺の位置の相対的前後移動による重心の位置移動も大きくなり、それだけ泳ぎに及ぼす影響が大きくなります。各人の泳ぎの特性や体重、体積(体脂肪率)、手足の長さによりますが、浮力、酸素摂取効率等と併せて至適な空気量を知ることが肝心です。


●アイソメトリックな収縮とコンセントリックな収縮・・・1

 体操競技の吊り輪、演技者の掌にはどれほどの力が掛かっているのでしょうか? 演技者の体重は勿論のこと回転による遠心力なども吊り輪をつかむ掌にかかります。100kgとか200kgはゆうに超えます。その一方でそれらの体操選手の握力を測ると、決してそんなに強いわけでもありません。多くても70kgがよいところです。
 握力が40kg、体重60kgの人も、鉄棒にぶら下がって60kgの体重を支えることができます。握力40kgの人が60kgの体重を支えることができるというのは、考えてみれば不思議なものです。
 握力計を握るような力をコンセントリックな筋力、握っている掌が力に抗して開かないようにする力をアイソメトリックな筋力、堪えきれなくなって掌が開いてしまうのがエキセントリックな筋力と言います。
 腕相撲を例にすると、両者の力が拮抗して勝負のつかない状態がアイソメトリック、勝負がつく場合に、勝者はコンセントリック、敗者はエキセントリックな収縮だったと言えます。発揮する筋力は一般的に「エキセントリックな筋力>アイソメトリックな筋力>コンセントリックな筋力」の順で小さくなります。


●アイソメトリックな収縮とコンセントリックな収縮・・・2

 クロールのキャッチについて考えてみましょう。アウトスカルからインスカルにかけて、グライドして伸びている肘を曲げていきます。肘を曲げる動作の主動筋は上腕二頭筋、ポパイの力こぶです。上腕二頭筋がコンセントリックに収縮し肘が曲がるのですが、上腕二頭筋の筋力が弱いと水圧に抗しきれません。
 女子の長距離種目で一時代を築いた細身のジャネット・エバンスという選手がいます。いわゆる2ビートのピッチ泳法でD.P.S.は決して長くはありません。腕の入水後、前方で肘を伸ばしてグライドするということがありません。肘は、常に曲がった状態で躯幹(胴体)筋をフルに使った泳ぎです。フィニッシュ後、水圧から開放されたときに、慣性で肘が瞬間的に伸びますが、リカバリーの後半では、肘を曲げ次のキャッチの準備をします。肘を曲げたままで入水から素速くキャッチをしますから、上腕二頭筋(ポパイの力こぶ)はアイソメトリックな収縮です。恐らく十分にグライドした後、上腕二頭筋をコンセントリックに収縮させ、水圧に抗して肘を曲げるには筋力不足だったのではないでしょうか。それ故、結果として躯幹筋をフルに使ったダイナミックな泳ぎが身についたのかもしれません。この泳ぎは、誰かに教えられたものなのか、自分で考えて作り上げたのか、あるいは自然に身に付いたものなのかは定かではありません。このような泳ぎ方はジャネットエバンスに限ったものではなく長距離泳者などでよく見られます。
 女性や比較的筋力の小さい方は、泳ぎの中にアイソメトリックな筋力の発揮を取り入れ、上腕筋の負担軽減を図ることを考えても良いでしょう。

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9月