は じ め に
 『健康』のための運動とはいっても、漠然とした『健康』というだけでは、必ずしも長期にわたって継続することは容易ではありません。「やせるため」とか「キレイに泳げるように」とか「腰痛の予防」といったハッキリとした目的も必要でしょう。そんな目的に適うように、各章毎にテーマ設定をしています。


第1章 人間とカラダと水泳
●筋肉の収縮伸展とストローク

  腕の後ろの上腕三頭筋は、比較的疲れを感じやすい筋肉です。
 グリコーゲンの補給や乳酸の除去には血流の十分な確保が大切です。筋肉は収縮(緊張)しているときには、血流が滞りがちですが、十分に伸展(ストレッチ)し弛緩すると血流が増えます。そして収縮と十分なストレッチの反復が更に円滑な血流をもたらすことが知られています。
 上腕三頭筋の働きをクロールのストロークを例に簡単に考えてみましょう。
 フィニッシュからフォロースルーにかけて収縮した三頭筋は、リカバリーの中盤以降にハイエルボー(肘曲げ)を保つことによって伸展します。腕の入水からキャッチにかけては、特段の負荷が掛かるわけではありませんが三頭筋は収縮します。その後のハイエルボーでの肘上げでストレッチされ、フィニッシュでの強力な収縮につながります。このように1(ワン)ストロークの中で上腕三頭筋は、「収縮⇒伸展⇒収縮⇒伸展」を繰り返します[写真1]。1ストローク中の2度の上腕三頭筋の伸展(肘の屈曲)があり、このとき上腕三頭筋をどの程度しっかりと伸展(肘の屈曲)させられるかで乳酸の蓄積度合いが異なってきます。比較的肘を伸ばしたままリカバリーすると、上腕三頭筋がストレッチしないので乳酸はどんどんと蓄積します。フォロ−スルー後のリカバリーで適度に肘を曲げることによって乳酸の除去が促進されます。肘曲げに併せて上腕を内方に回転させることで上腕三頭筋のストレッチ度合いは更に高まります。水泳中のハイエルボーは、単に「多くの水をつかむ」と言うだけでなく、こんなことにも符合していることが分かります。
 練習中のレストインターバルの際に、選手が三頭筋のストレッチをしきりとしている場面[写真2]を良く見かけます。泳ぎの中でも、ストレッチをしながら泳ぐことで「長い距離を楽に速く」泳ぐことが可能になります。
 上腕三頭筋に限らず他の筋肉においても、ストロークの中でどのように収縮と伸展を繰り返しているかを確かめ、ストロークの流れの中で乳酸を溜めずに泳ぐようにしましょう。


●伸展(伸張)反射と水泳・・・1

 ヒトの動作を考えるとき、意思による随意動作と意思の介在しない不随意動作とに分けて考えることがあります。科学の本などによると「骨格筋は随意筋、心筋などは不随意筋」などと載っていますが、骨格筋も不随意に収縮することがあります。それを“反射”といいます。熱いものに触れると、とっさに手を引くとか、まばたきなども反射の現れです。通常の随意動作は大脳皮質からの指令によって行われますが、反射は脊髄によるものです。

 反射の一形態として「伸展(伸張)反射」と呼ばれるものがあります。筋肉は外部からの力で引き伸ばされると、引き伸ばされないように反射的に収縮します。階段などで足をくじいてしまうことがあります。足首の筋肉が急激な力で伸ばされたとき、伸ばされないように反射的に収縮します。外力が反射を超えて強かったり、反射動作が間に合わないときに捻挫が起きます。もし、筋肉の伸展反射が無ければ、私たち人間は、歩くたびに毎日捻挫をしていなければなりません。それどころか歩くことさえできません。

 歩く動作には様々な筋肉がかかわっています。膝の曲げ伸ばしに限ってみると、大腿二頭筋と大腿四頭筋が主働筋です[写真1]。曲げるときには大腿ニ頭筋が収縮し、伸ばすときに大腿四頭筋(腿の前側の筋肉)が収縮します。曲げるときに大腿四頭筋が伸展し、伸ばすときに大腿二頭筋が伸展するということでもあります。もし、大腿二頭筋と大腿四頭筋が無秩序に伸展や収縮を繰り返したらどうなるでしょうか? 膝を伸ばそうとして大腿四頭筋が収縮します。同時に大腿二頭筋が伸展するはずです。それが、大腿四頭筋が収縮しているにもかかわらず、二頭筋が収縮したままだったとしたら……。脚に限らず、それぞれ拮抗する筋肉が、一方が収縮すれば他方が伸展し、一方が伸展すれば他方が収縮する。この微妙な調整も反射の為せる技です。このことから「伸展反射が無ければ歩くことさえできない」という意味が分かります。


●伸展(伸張)反射と水泳・・・2

 それぞれ拮抗する筋肉は、互いに影響しあいながら収縮と伸展を繰り返し、そこには反射という極めて緻密な調節機能が働いています。リズミカルな流れるような泳ぎを身につけるためには、微妙に調節されている反射機能を活発化させ、筋肉の収縮と伸展の繰り返しをよりダイナミックに円滑に行うことが大切です。

 元プロ野球オリックス(現シアトルマリナーズ)のイチロー選手。決して大きくないカラダで、球界でも屈指の“好打者”です。プロ野球の歴史を紐解いてもイチロー以上の“好打者”はいないかもしれません。彼の素晴らしいところはスイングの速さといいます。

 科学的には『パワー=筋力×スピード』と定義されます。イチロー以上の筋力を持った選手は幾らでもいるはずです。筋力は、筋肉の大きさ(太さ)に比例します。大リーグのホームランバッター、マクガイアなどはとてつもない筋力を持っています。一方でスピードは、脳からの「打て!」という指令の伝達スピードだったり、それを筋肉が感じる感性だったりします。イチローはスイングのスピードが滅法速いですから、筋力の不足を補っても余りある程に、パワーは素晴らしいはずです。
スイングが速いということは、ギリギリまでピッチャーの投げたボールを見極められるということでもあります。少しでも長くボールを見ていられると言うことはバッターにとってとても有利です。では、イチローには、何故そのようなスピードが備わったのでしょう。
 筋肉の収縮スピードが速ければ速いスイングが可能ですが、同時に拮抗する筋肉の伸展のスピードも速くなければなりません。イチローの場合には、まさに収縮する筋肉と伸展する筋肉との調整が、極めて精密に行われ、収縮筋のコンセントリックな収縮と伸展筋のエキセントリックな収縮(伸びながら収縮する)とが相乗して更にパワーアップするのかもしれません。
 水泳でも一流の選手は「決して太くはない筋肉(力)×速いスピード=パワー」を持っています。“水泳技術の優劣”も筋肉の収縮と伸展のスピードとその相互の調整機能であることが分かってきました。


●伸展(伸張)反射と水泳・・・3

 筋肉は、収縮させることだけでなく、いかに素速く効果的に伸展させるかが大切です。泳ぎの中のそれぞれの瞬間においてどの筋肉が収縮し、どの筋肉が伸展しているのかを意識し、併せて収縮すべきはしっかりと収縮させ、伸展すべきはしっかりと伸展させるように気をつけましょう。
 肘関節が曲がるときには、上腕二頭筋が収縮し、上腕三頭筋が伸展します[写真1]。逆に肘関節が伸びるときには、上腕三頭筋が収縮し、上腕二頭筋が伸展します[写真2]
 クロールで疲労を感じやすい上腕三頭筋が司るプルのフィニッシュ時が最もパワーを期待される場面[写真3]ですから、そのときに上腕三頭筋の収縮と拮抗する上腕二頭筋の伸展がスムーズ且つ素速く行われることは非常に大切です。
 ここまでで述べたようにカラダの動きはすべて反射で説明できます。脊髄による指令で反射として行われる各種の筋収縮(筋肉の動き)を秩序をもって整合させ一つの目的的な動きとして作り上げる役割が大脳皮質と考えると分かり易いでしょうか。

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9月10月